森鴎外の碑
 森鴎外の碑
明治三十四年九月四日。 夕 常磐橋上所見。稲妻を遮る雲のいろの濃き 夜 雷雨。鴎外森林太郎(「小倉日記」より。)
常磐橋の袂に円い柱が立ってゐる。 これに廣告を貼り附けるのである。(「独身」より。)
翌日も雨が降ってゐる。 鍛冶町に借家があるといふのを見に行く。(「鶏」より。)
我をして九州の富人たらしめば、いかなることをか為すべき。 こは屡々わが念頭に起りし問題なり。(「我をして九州の富人たらしめば」より。)
私は豊前の小倉に足かけ四年ゐた(「二人の友」より。)
小倉北区城内勝山公園内 5つの句碑毎年6月19日の夕方には碑前で「森鴎外を偲ぶ会」が行われている。 
小倉北区城内 鴎外橋を渡ったところにある。
 森鴎外
 文久二年津和野生まれ。大学卒業後ただちに軍医として陸軍に入った。その後、ドイツに留学するなど出世コースを歩いていたが明治三十二年六月に九州小倉に第十二師団軍医部長として転勤を命じられた。世に言う「小倉左遷」である。しかし、この小倉時代は文学者森鴎外としては大きな転機となる重要な位置を占める。代表作に『舞姫』、『雁』、『青年』、『阿部一族』などがある。本名、森林太郎